取引を記録に残す生き残る儲ける

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『声幽ネットワーク論』の紹介、佐賀の思い出、2424 ブラス

はじめてツイッターで知り合った人と、LINEを交換した。

 

と思ったが、そんなことはなかった。流石に身体距離がゼロ/マイナスとなった相手とはLINEで繋がっていた。だから、「純粋にツイッターの人」と認識している相手と、ということなのだろう。過去をデバイスとログで振り返るうちに、古式ゆかしくEmailアドレスを交換しやり取りした事例も見つかったので、どうやら生物性を否認されがちなアカウント運営者にとっても外部の連絡先の交換自体は特別なことではなかった。アカウントハッキングにより永久凍結へと至ったfacebookでの交流などもあった。

 

それに先方にしても、わたしがめっきりツイッターに現れないから、代替的な連絡方法としてLINEを例示しただけかもしれない。

 

 

 

 

「声幽論」というものがある。

 

『声幽ネットワーク論(1)』#shohoe0308 | shohoe0308

 

 

「ある」と言い切ってしまうのは、少し大仰かもしれない。査読付き学術誌にそれを取り扱う論文が掲載されたわけでもないし、商業出版物として世に出ているわけでもないからだ。東浩紀のデータベース消費や、村上裕一の「ゴースト」を踏まえた、特にアニメ声優の「声」の自律的ネットワークに関する理論や捉え方、といっていいのだろうか。「声優」ではなく「声"幽"」なのは、デリダや東の議論を受け継いでいる。かつ「声幽」は声優よりももっとふわふわしてとらえどころのない存在だからでもある。

 

「声幽」というアイデアについて著者であるしょーへいさんから初めて聞いたのは、2010年代初頭のいつか。京都市左京区にあるGACCOHでのなにかの読書会での後半か中締めが終わったくらいのタイミングだった。奥に向かって長い、板の間のGACCOHの中でホワイトボードに向かってマーカーペンを手に取り何やら解説を始めた姿と声の記憶が残っている。

 

 

でも、わたしは声優に関心があまりない。

 

昔、佐賀に行ったときに、本当に初期の初期のツイッターを始めたばかりの頃に仲良かった人と会った。『ゾンビランドサガ』が放映されるよりもっともっと前の話だ。その人は漫画家を目指していた。連載漫画家のアシスタントも経験していた。ボクシングが好きで、それも共通の話題だった。会いに行った当時でも、その人はもうほぼほぼツイッターを辞めていて、わたしの側もその時にフォローしていたかどうかも怪しい。携帯電話番号を交換していたから、ショートメッセージを送って連絡を取った。LINEどころじゃなく、電話番号を交換しているな、わたし。佐賀駅前のロータリーで待ち合わせして、車で近くのファミレスに行った。車種は覚えていない。最近悪い事件のニュースやフィクションに触れてしまったせいで「他人の車に乗る」という事象に微かな恐怖を抱いてしまうようになったけど、このときはそうでなかったし、これからも実際に乗る段にはそんなに気にならないだろうけど、想像上のそれは今のわたしを苛んでいる。ファミレスを出た後、何か観光地っぽいところに向かったのだけど、地元民なのに道を間違えたのか着く気配がない。いっぽう車の中では、クリチコ兄弟のボクシングの話をしていた。「兄貴は基本ワンツーしかしないんですよ。ワンツー、ジャブジャブ、でワンツー」「ウラジはまだ、フックとかアッパー打ったりするんですけど」。そして、まだ当時週刊少年ジャンプ掲載だった『ワールドトリガー』について、漫画家志望者の観点からかアシスタント経験者の観点からか「うまくやれば、そうとう面白くなると思うんですよ」と面白さの要素を解説された。『ワールドトリガー』は軽くは読んでいたけど、わたしにはその分析はよくわからなかった。「いつまで経ってもつかないなー」と思っているうちに、彼に電話がかかってきた。家の人からの電話のようだった。

 

 

わたしは彼のご両親と妻と娘の待つ家にご訪問することになった。

 

 

田舎の家はどれもけっこう大きいのものだけど、彼の家は佐賀市中心部のほうにあって、そのあたりも加味すると「けっこう大きいなぁ」と心で思った。居間に通されて、彼と彼のご両親とわたしは緊張しながらお話していた。同じ部屋では娘さんが遊んでいた。見た目と時系列からたぶん2-3歳くらいだったと思う。彼の実家は商売をやっていて、彼も今ではそこで働いていた。仕事の話もけっこうした。「継ぐ側も大変なんだな」そう、はしばしから感じることがあった。わたしの仕事と、彼のところの商売とに、少しリンクするところがあった。ご両親のほうからいろいろ振りはあって「〇〇ならうちだとXXX円くらいですねー、ははは。うちは手広く浅くやってますんで、こまいお客様と数多く取引することで成り立ってまして。まぁ佐賀は遠いですけど、うちは全国商圏でやってるんで、発送履歴見ても本当に全国に毎日送ってますよ」というように、社交辞令として流すように努めていた。彼も同じ考えのようだった。当時のわたしはまだ営業だったけれど、仕事につなげたくなかった。それに、たくさんの苦労のあと、それなりの成果が出て売上的にも余裕のある時期だった。

 

わたしに多少の疲れがでてきたことに気づいたのか、彼の自室に行くことになった。2階のその部屋に入ると、でっかいタペストリーがあって、性的ななにがしかを露出しているアニメ調の絵がその全面に描かれていた。やや動揺したわたしは、視線が定まらないなか(ま、2-3歳の女の子なら気にしないか)(漫画家を目指すことを認められてたご両親だし)などを考えていた。その絵のキャラクターや登場する作品を脳内で検索したけれど、これといったものがヒットしなかった。いまだに少し気になる。何も言わないけど、明らかに気になっている様子だからか、「や、妻が張れって言うんですよ」そう彼は言った。わたしの動揺が収まらないうちに、その奥様が部屋に現れ、部屋にぺたんと座り、わたしの目をじっと見て、「オタクですか?」と質問してきた。(?????)となりつつも、わたしは振り絞るように「嗜み程度には」と答えた。適した答えだったと思う。

 

 

わたしの声優に関する造詣と関心は、見栄や追従であっても「たしなんでます」とは言えない程度のものだ。

 

まったくアニメやネットを見ない人からすれば、十分すぎるくらいに、名前や役の変遷やキャラクター性やエピソードなどをそれなりには把握はしているだろうけれど、やはり関心がない。同年代や上の年代や、自分より若い人たちが声優に対して向ける熱狂に対し、理解しようと試みてもやっぱりそれはどこか外側からのもので、わからない。

それこそ小中学生のころは、声優を「アニメキャラクターの自立性を邪魔する猥雑物」くらいに思ってた気がする。そもそも、アニメを視聴しても「自分が漫画を読んで想像していたキャラの声と違う!」と違和感ばかり抱いていたような。二十歳ぐらいのころには「不自然に高い声」「過剰な演技」あたりが引っかかっていた気がするが、絵や二次元のキャラクターにとって自然な演技とはなんだろう。外国語映画の吹き替えなら、まだ妥当な立論ができそうだけど。

 

ということで、

 

"エヴァ批評の中では、シン・エヴァンゲリオンは、マリを安野モヨコだとして、庵野秀明を救った物語として読む向きが多いが魂のレベル、つまり声のレベルで違うと言える。ここに、ユイ=林原めぐみロンパース安野モヨコという等式が成り立つからだ。"

 

というような文が読める

note.com

を読みましょう。

 

 

 

この記事は部分的にノンフィクションです。

 

 

おまけ

銘柄紹介

2424 ブラス

本日(2021/03/23)終値583 +43 +7.96%

時価総額30.83億円(540円換算)

予想PER 8.66 予想EPS 67.3
実績PBR 1.45 実績BPS 402.47
東海地盤のゲストハウスウェディングの会社です。
コロナワクチンができたときに、一晩じっくり考えて(一晩だけかよ)
お葬式はともかく、結婚式はあとからでもやる人多いはず!と考えて、
式場銘柄の中で時価総額が低くて、かつ倒産確率が低そうなものということで選びました。ちょっとずつ買ってますけど。ぜんぜん量ないです。ロジックに自信はあるんだけど、自信あるならもっと買ってるだろ!と言われるくらいしか持ってません。買わないとな―。